家庭環境によって植え付けられた僕のトラウマ

 

こんにちは、フミヤです。

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さて、

今日は「銀行員だった母親が離婚、再婚で苦労を余儀なくされた話」をしていきます。

 

僕のトラウマですので、
書きながら涙を堪えました。

誰にも打ち明けたことのないレベルの
普通だったらあり得ない実話です。

 

しかし、この話を聞けば、

 

・真面目に働いてもセミリタイアできない理由
・経済的な自由は絶対に得るべき理由

 

が明確にわかりますので、
こうして記させていただきました。

 

僕の人生から「お金」が

必要不可欠と思ったきっかけ

 

僕の母は元銀行員です。

僕を産むまでの26歳頃まで働いていました。

 

とてもお人好しで優しい母親。

 

婦人警官になりたかったみたいだが、
祖父母によって家から通える職場を
探すしかなかったみたいで、
その中でも良さそうな銀行員になったらしい。

 

営業成績も良かったらしく、
社内ではやめて欲しくない人材でもあったようだ。

 

母は僕が産まれたと同時に職場を退職し、
最初は専業主婦をしていたそうだが、
父親のパチンコ通いが原因で家にお金を
全く入れてくれなかったそうだ。

 

時には勝手にバイクを買ってきたりして
悲惨な状態だったようで、

母は銀行員の頃に貯めた貯金500万円が
ついに底が尽きた頃に離婚を決意した。

 

 

まだ小さい僕がいたため働きに出るのも難しく
キャリアを積んでいた銀行に戻りことも出来ず、

お金のためにトリプルワークを開始した。

 

昼は僕を預けている保育園でパートをし、
夕方から祖父母に僕を預けて、
コンパニオンの仕事。

 

夜中は友達のスナックで働いていたみたいだ。

睡眠時間は1日2.3時間。

母が再婚するまでそれが続いた。
3年くらいか。

 

再婚してから僕が物心ついている時には
母はすでに疲労困憊のためか寝込んでいる
ことが多かった記憶がある。

 

2番目の父親は優しく、
よく遊びにも連れて行ってくれた。

 

だが、収入が少なく母が嘆いているのを
何度も耳にしている。

 

「最初にお給料が40万円って聞いたのに、
実際は20万円くらいだからお母さんが
働かないとダメかも・・・」

 

正直、母は男運がないとは思います。

 

その子供である僕はさらに選択肢を選べませんでした。

 

 

僕が我慢を余儀なくされたこととすると

 

・サッカーのクラブチームに入りたかったが無理だった
・高校受験時も必ず公立高校に行くしかない
・大学に行きたくても行けなかった

 

 

最終的には2番目の父は僕が高校1年生の6月頃に謎の失踪をして
未だに行方知らずである。

 

母は無理してパートを始め、さらに身体を悪くしていった。

 

そのため、
母は働けないので祖父母の家にお世話になることになる。

 

もちろんお金が全てではないのはわかっています。

 

しかし、子供の僕としては、
お金がないと選択肢が選べないというには
充分すぎる程の体験は他の人よりも身をもって
体験してきたと思います。

 

2人の父との離婚と失踪

 

実の父は「パチンコ」が大好きで頻繁に通っていましたし、大人になってから会う機会があってその時もパチンコ屋にいました。

 

通っているパチ屋の駐車場に行けば
必ず父の車があるレベルです。

 

ある日母親が、

 

「パチンコしすぎじゃない?
やるなとは言わないけど、
給料少し家に入れてくれても良くない?」

 

と言っても、

 

「俺が稼いだ金なんだから

どう使おうと勝手だろ!!!」

 

と言い返されたそうだ。

 

そして来月にもまた平気で、
10万円パチンコにつぎ込む。

 

仮に僕がもう少し大きければ、

 

「お父さん頼むよ、
結婚ってそういうことだろ」

と言いたかったな。と。

 

しかし、それは当然叶わない。

 

2番目の父も同じく給料が少ないのもあるが、
家にお金を入れてくれないことがあって

中学生の頃に僕が電話して

 

「お義父さん今月どうしたの?」

 

と、何回か電話したことを思い出す。

 

その度に母は祖父母に頭を下げ、
生活費を工面してもらっていました。

 

今の僕だったらブン殴ってでも、
親父と話し合うと思いますが、

 

幼少期の僕と中学生の僕では太刀打ちできないので
何もできませんでした・・・

 

2人の父親のようには

ならない絶対に。

 

もちろん、2人の父親のことは嫌いではありません。

 

しかし、
最終的にパチンコ中毒の父親、
謎の失踪をしたお義父さん。

 

そのために祖父母にお世話になること、
母親が苦労をしていたことの根源が「お金」でした。

 

そのため、

 

「お金を稼げるようになることは絶対に必要だ」

「そして、最終的には自分が働かなくても、
理想の生活ができる経済力を持ちたい」

 

と誰よりも強く感じていました。

 

だから看護師になって自立した後の24歳時から、

 

「自分の力で稼げるようになりたい」

 

と誰よりも強く思うようなっていたのだと思います。

 

その結果、

 

・20代のうちに2億円を稼ぐ。
・自分の代わりに資産が働くので、労働時間は「0」。
・祖父母と母親に旅行をプレゼント。
・祖父母に今まで僕のために掛かったお金の全額返済。
・自分で家族を持ちタワーマンションライフを送る。

 

などなどを経験してきました。

 

たぶん多くの人がこのメールを読んでいる時も、
僕は今日も好きな場所で好きな人と
好きなことをしているはずです。

 

稼がせた子たちと一緒に東南アジアに行ったり、
今は2億円稼いだ裏マーケターと一緒に仕事をしたり、
結婚した妻と将来どこに住むか話し合ったり。

 

その間ですら僕の代わりに資産が働き、
10万円、100万円、500万円と
銀行口座に入ってくるわけです。

 

今だから言えますが
「本当にお金について学んでよかったな〜」
と感じます。

 

 

ここまでが、
僕が経済的な自由は絶対に得るべきと思う理由です。

 

 

僕たちの人生と労働する時間

 

 

話は少しズレますが・・

考えて欲しいのが僕たちは
人生の大半の時間

 

「お金のための労働」をしています。

一般的なサラリーマンの場合。

社会人が仮に20歳からスタートするとして、
定年が60歳と仮定すると(40年間の労働)。

 

そして、
1年の2/3が労働だとします。

つまり365日のうち労働240日、休日125日。

そして労働時間を最低でも8時間とします。

すると労働240日×8時間=1920時間。

それを続けたら

 

「1920時間×40年=76800時間」

です。

 

どれだけ少なく見積もっても、
人生で「7万時間」は労働します。

それもほぼ大半が
「お金のための労働」です。
(※全員がそうではないほとんどの人が)

 

そして
「給料が出ないなら別にやりたくない」
という仕事をやっている状況。

 

そんな興味ない仕事に
「7万時間」を使うのは苦行としか言えません。

少なくとも僕は耐えきれませんでした。

 

毎朝6時に起きられないし、

夜勤はお金以外はデメリットしかない。
(25歳からは辛かったです)

 

もちろん、労働のする中でもやりがいを
見つけ出すことはできると思います。

 

しかし「やりがい」があっても「辛い」ことの方が大きい気がします。

 

僕はそうでした。

 

具体的にどうやって

セミリタイアを達成するのか?

 

ここまでの話を聞くと、

 

「セミリタイアをどうやって実現するのか?」

 

という疑問があるかなと思います。

 

その方法で確実に言えることは、

 

「自分の代わりに働いてくれる資産を作ること」

 

です。

 

ただ「資産」と聞いて、
25歳の僕が最初にイメージしたのは、

 

・不動産
・投資
・人を雇って働いてもらうこと

の3つでした。

 

しかしこの3つは、
「資金がないと始められないし、人を雇うとか無理ゲー・・」
となるはずです。

 

・・・当たり前だと思います。

 

 

株は少なくとも原資500万とか1000万円くらい必要ですし、
(それでも負けたり)不動産に至ってはもっと資金が・・

看護師だけしてた25歳の自分が、
「人を雇う」とかもはや無理ゲーです。

 

 

「ではどうするの?」

 

という疑問に回答したのが以下の
電子書籍と追加プレゼントです。

 

「セミリタイア」の実現は意外とシンプルです。

 

(1)学ぶ。

 

そして

 

(2)自分の代わりに働く「資産」を作る。

 

この2つを徹底していくだけです。

 

 

それだけで月利100万円レベルなら
誰でも到達できるはずです。

またメールします。

それではありがとうございました。

 

フミヤ